日記

 5日前から風邪で調子が悪い。今日やっと病院に行った。内科がどこもお盆休みだったため、耳鼻咽喉科に行った。鼻の穴に棒状の機器を突っ込まれて検査された。『トータル・リコール』で鼻から追跡装置を取り出すシュワちゃんみたいだなと思った。とりあえず、6種類の処方薬を出された。

 昼食後に薬を飲んだら少し体調も回復してきたので、自転車で15分くらいのところにあるブックオフに出かけた。セール中なので3冊購入。

 買ったのは、岩波新書「シリーズ 日本近現代史」の

1井上勝生『幕末・維新』

2雨宮昭一『占領と改革』

あと、加藤典洋『言語表現法講義』(岩波書店、1996年)

電車で読むしか

最近は主に電車に乗っている時に読書している。電車内だけで発揮される集中力というものがある。

自宅の部屋にいると、他のこと(海外ドラマやらYouTubeやらTwitterやら)の迫力に負けて、ぜんぜん読書に集中できない。

電車に乗っていると、空間的にも期間的にも制限があるぶん、他の雑念が消えて、無心に本が読める。

人生で3回目くらいに倫理学に関心が向かっている。いまはピーター・シンガーの『実践の倫理』を読んでいる。Twitterだとしばしば炎上する話題が、徹底的に議論されていますね。電車で読むには、ちと分厚い。

久しぶりに

2月から3月にかけて体調不良と引っ越しが続いたため、あまり読書もできず、何も書く気になれなかった。新居アパート生活も5ヶ月近くなる。新居といっても、前のアパートから一駅ぶん離れただけなんだけど。放置するのも何だか寂しいので、読書記録だけ書くことにする。

 

▼ 3月から7月にかけて読んだもの:

 

 

1月に読んだもの

▼ 本

 

▼ 時評など

  • 渡辺努「「2%」定着へ所得補塡強化を」日経新聞2024年1月11日.
  • 酒井泰斗・吉川浩満「読むためのトゥルーイズム(1)」『文學界』2024年2月号.
  • 浅田彰「[ロング・インタヴュー]アイデンティティ・ポリティクスを超えて:『構造と力』文庫化を機に」『新潮』2024年2月号.
  • 松本朋子「所得再分配の壁:世論調査と実験からの模索」『世界』2024年2月号.
  • 石川健治「『世界』の構造」『世界』2024年2月号.

12月に読んだもの

▼ 本

  • 杉原康雄(2014)憲法読本 第4版』岩波ジュニア新書.
  • 渡辺努(2022)『世界インフレの謎』講談社現代新書.
  • 野家啓一(2015)『科学哲学への招待』ちくま学芸文庫.
  • コーネリス・ドヴァール(2013=2017)『パースの哲学について本当のことを知りたい人のために』大沢秀介(訳), 勁草書房.
  • 筒井淳也(2023)『未婚と少子化——この国で子どもを産みにくい理由』PHP新書.

▼ 論文

▼ 時評など

  • 桐野夏生(2023)「大衆的検閲について」『世界』2023年2月号.
  • 紅野謙介(2023)「検閲は転移する」『新潮』2023年4月号.
  • 枝廣淳子(2023)「グリーン成長・脱成長・ポスト成長——何が異なり、どこへ向かうのか」『世界』2023年12月号.
  • ジュディス・バトラー(2023)「哀悼のコンパス——暴力を批判する」『世界』202312月号.
  • 若田部昌澄(2023)「デフレ脱却への総仕上げとリスク」『Voice』2024年1月号.
  • 杉谷和哉(2023)「「エビデンス」との賢い付き合い方」『Voice20241月号.
  • 貞包英之(2023)「わたしたちが買うときにおこなっていること——なぜ消費は社会学的に研究されるべきなのか?」SYNODOS (https://synodos.jp/opinion/society/29004/)

▼ 文学

 

 

 

道徳の問題をパズル化しないこと(読書メモ:『ここからはじまる倫理』)

アンソニー・ウエストン『ここからはじまる倫理』

訳=野矢茂樹・高村夏輝・法野谷俊哉, 春秋社, 2004年.

ここからはじまる倫理

 諸々の倫理学説を教示する本ではないが、実際の倫理的問題に向き合う際の姿勢について書かれている。カタイ学術書を勉強する前に、あるいは勉強している途中に読むと、頭がほぐれるかもしれない。

 道徳に関するジレンマや対立に関する箇所が興味深かったので、以下にメモ。

 著者は、道徳的ジレンマについてしばしば起こる傾向、すなわち、道徳的な意見や原理におけえる衝突を描くことに重点を置くあまり問題を過度に単純化してしまうような傾向に対して、注意を促している。

 たとえば、道徳的発達を調査するために、心理学者コールバーグによって作られた道徳的ジレンマが紹介されている(p. 51以降)。

 要点だけ言うと、こうだ。

 死にかけた妻を救うために薬が必要なのだが、ハインツにはその薬が高価すぎて買うことはできない。ハインツは薬局に押し入って薬を盗み出すべきなのか、または、そうせずに妻が死ぬのを待つべきなのか。そういうジレンマである。

 しかし、それ以外の選択肢の可能性を考えてはいけないのだろうか。コールバーグは否定的なようだ。このジレンマの目的は、二つを衝突させることによって倫理学上の諸原理の衝突を提示することにある。著者(ウエストン)によれば、コールバーグの調査では、この目的をつかめずに別の選択肢を考えてしまった人は「未成熟」だとされたようだ(p. 70)。

 単に哲学的な原理を浮かび上がらせるためだけなら、他の選択肢を排除するようにさらに工夫することも確かにできる。また、実際にジレンマ的な状況がありうることも確かだ。著者はそう断ったうえで、以下のように述べている。

しかし私の論点は、言い立てられた道徳的ジレンマを何の疑問もなく受け入れるのは、少し軽率すぎるということだ。まるで、とにかくジレンマこそが道徳的問題の唯一適切で自然な形式である、そう言わんばかりだ。創造的に考えることが、スタートする前から締め出されている。狭く限定された問題しか残されていないのだから、狭く限定された答えしか手に入らないのも当然だ。(p. 53)

 この後の注の中でも著者は、ただの学説上の衝突やパズルを示すことだけが目的であれば、ジレンマの選択肢が限定されているのは自然でありうるが、それでもしばしば他の選択肢が存在する、という点を強調している。ここで、アメリカのプラグマティスト、ジョン・デューイに言及していたのが興味深い。

道徳の問題が、すっきりと整理されたパズルのごときものだとすれば、創造的に考え直すのは「的を外す」ことだろう。しかしプラグマティズムの哲学者たちによれば、道徳の問題はそんなすっきり整理されたものではなく、ある緊張が生じた領域であり、その領域は広く、どこまでその緊張が及ぶのかがはっきりしていない。デューイはそれを「問題状況」と呼ぶ。本当は、問題状況に「解決」など望むべくもないのだが、まさにそれと同じ理由によってチャンスでもある。創造的に問題に取り組むこと——問題をもっと扱いやすく、チャンスを生み出すようなものにしようと努めること——、これこそもっとも賢明な対応であり、しばしば唯一の賢明な対応となる。 (pp. 69-70)

 デューイの引用は The Moral Writings of John Dewey (James Couinlock, ed., Macmillian, 1976)から、とのこと。

 これに関連して、価値観や道徳をめぐる対立において「二極化」を避けるべき、という議論が出される。ここでも、著者はデューイを引き合いに出している。

道徳をめぐる対立のほとんどは正真正銘の対立である。本当の問題を捉えそこねることによって生じたニセの対立ではないのだ。両方の立場、いや、すべての立場に見せかけただけではない善さが含まれている。哲学者デューイの言葉を引こう。「道徳をめぐる重大な対立を、善であると知られているものと明確な悪との対立として捉え、不確かさを岐路に立たされた者の意志の内にのみ見ようとしうるのは、ただ独善的な者だけである。論じるに値する対立のほとんどは、いま現に納得しているもの、あるいはこれまで納得してきたもの、そうしたものごとの間の対立であり、善と悪との対立ではない。」 (p. 74)

 ちなみに、これはデューイの『確実性の探求』(The Quest for Certainty, 1929)からの引用だ。これは現在では『デューイ著作集4 確実性の探求——知識と行為の関係についての研究』(加賀裕郎 訳, 東京大学出版会, 2018)が入手しやすく、その216ページに書かれている。

 

 

 

本:伊藤邦武『プラグマティズム入門』

伊藤邦武『プラグマティズム入門』(ちくま新書、2016)

 タイトル通りの入門書だが、「哲学思想としてのプラグマティズム」を主題にしている。主に探究・認識・科学・真理・論理・数学・メタ哲学(哲学とは何か、など)といった話題が念頭にあるのだろう。

哲学思想としてのプラグマティズムは、当然ながらわれわれの認識の正しさや真理性の特徴を明らかにすることを課題とする。しかし、この課題を果たすためにこの思想が行うのは、認識の真理性の絶対的な根拠を求めることでもなければ、その可能性の理由を定義することでもない。プラグマティズムが問おうとするのは、真理を求めようとする場面にあって、われわれ人間が採用するべき対話の形式や、問答の枠組みのあり方である。それは真理や価値の最終的な決定であるよりも、その「追求」のスタイルの反省である限りにおいて、開かれた柔軟な哲学という特徴をもっており、そしてまさにこの特徴のゆえに、多くの哲学者たちのアイデアを受け入れ、吸収する力をもってきたのである。(p. 11)

 類書で定番の教科書としては、魚津郁夫『プラグマティズムの思想』(ちくま学芸文庫、2006)がある。魚津の本では、アメリカの文化、ソローやエマソンなどの思想から入り、パース、ジェイムズ、ミード、デューイ、クワイン、ローティまでを扱っている。また、テクストからの引用が豊富にあり、扱う範囲も宗教・倫理・政治思想などと幅広い。

 伊藤の本では、第1章で、プラグマティズムの「源流」として、パース、ジェイムズ、デューイを紹介している。

 第2章では、20世紀半ばから1980年代までの流れとして、クワイン、ローティ、パトナムを紹介している。ローティまでは魚津の本と重なる。

 第3章は、ローティ以降の現代プラグマティズムの流れとして、ブランダム、マクダウェルマクベス、ティエルスラン、ハーク、ミサックを扱っている。この辺りの議論を扱っている新書はあまり知らないので、けっこう有益だ。